癌になったおとーとわたしと

癌になったと聞いて、残そうと思ったことを書くことに決めた。

おとーという人

おとーという人を語る上でまずはじめに思い浮かんだのは、私が22歳でまさかのおたふく風邪を患った時の会話だ。


私はその時、人生再出発した専門学生時代だった。夏休みで帰省していたある日の朝、あくびをしようとしたら信じられない激痛が顎を襲った。

妹の前で半泣きになりながら、口が開かない、ご飯が食べられないと訴え、おとーもおかーも仕事でいなかったため車もなく、しょうがなく数年ぶりに乗る自転車で町の診療所へ向かった。まだ漕げるなと安心したのを覚えている。


小さい頃に行ったことがある診療所は、息子が後を継ぎ建物も建て直してきれいになっていた。古い学校のような木の床がギシギシ鳴る廊下に達磨ストーブがあったとっても趣のある診療所はもうなかったけど、当時の先生は会うたびに珍しい名前だー(私の名前は初めての人は大抵読めない)と言って、茶色い甘いシロップの薬を出してくれたのを思い出した。懐かしい。


夏だったし自転車で行ったこともあり、待合室で熱を測ったら37.0℃くらいあって、今自転車漕いできたからかなーと看護師さんに話した。息子先生の診察では熱もないのに顎のリンパが腫れてるねと言われて、妊婦さんの検診の時によく見るちょっと憧れだったエコーを、顎で初体験したのもいい思い出だ。


とりあえず湿布かなんか薬が出されて(記憶はないけど)その日は終わったけど、次の日に熱がガンと上がって、この症状はもしや、、と診療所よりもお世話になってたクリニックへ行くことになった。


そのクリニックには、インフルエンザなど広がるとまずい病気の疑いのある人用の待合室があり、そこへ入ることも子供の時は病気ながら特別扱いされたように思えて嬉しかったけど、この歳になっておたふく疑惑の私は玄関からそこへ直行するように言われ恥ずかしくてたまらなかった。


結果はおたふく風邪。私は小さい時に罹ったことがなかったのだ。都心ではいつでも流行ってるようなもんだからどこかでもらってきちゃったんでしょうと優しい熊のような先生は話し、帰省期間を延ばし休むことにした。


顔はどんどん腫れ上がりご飯は食べられず熱にうなされ、トイレで見る自分の顔がマツコデラックスさんのようになった。小さい子のおたふくは可愛いけど、大人になると悲惨ってこのことも言うんだね。可哀想に。と言いながら、おかーが私の写真を撮り姉ちゃんに送り姉ちゃんが爆笑したという酷いエピソードも忘れてはいない。


妹は小さい時に罹ったのを見ていたけど、そもそも両親は大丈夫なのだろうかと思って、念のためおとーにおたふくやったことあるのかを聞いてみた。


「おばあちゃん(自分の母親)がやってないって言ってないからやったべなー」


そんな勝手な解釈をした回答があるだろうか。おとーはこんな人だ。聞いたことないからこうだろうと解釈するのだ。ひねくれ者なのだ。


男の人は大人になってからだと良くないという中途半端な知識で聞いてみたのだが、後から考えるともう子を望む歳でもないし結果移りもしなかったしよかったのだけど、あの答え方はおとーを象徴する一つだなと思う。