5年前の入院②
私は思ったことをなかなか口にできない性格を生まれた時から持ち合わせていたので、言いたいことはたくさんあるけどうまく伝えられる自信がなかった。
小さい時から本音を言おうと思うと泣けてきてしまうのだ。そうなると感情的になってしまい言葉選びに失敗するわ本来そこまででもないことが大きくなって伝わってしまうわで、相手にどうしたら正確に伝わるかいつも悩んでいるくらいに拗らせているため、おとーにもどうやって想いを伝えたらいいのか悩んでいた。
代弁してくれるようなものはないか空港で本屋に立ち寄り、今思うと酷い選択なのだが「老後の7つの楽しみ方」的な本を買った。60歳になったばかりに老後という本のチョイスはさすがに早くてよくなかったといまだに後悔はしているが、要はただ家にいてもつまんないでしょ!なんかしなよ!というのを伝えたかった。あとは家から中学高校あたりに使って残っていた封筒と便箋を引っ張り出して手紙を書く準備だけした。
空港からそのまま病院へ。お腹に水が溜まったって管が通ってベットに横たわるおとーを見るとやっぱり堪えた。でも話はできるし笑うと管入れるのに穴開けたところが痛いから笑わすなというおとーを見てこっちも安心した。顔を見ることは大事だなと思った。
次の日はおかーが仕事だから歩いて病院に行くことにした。会ってもやっぱり大した話はできないけど、体力落ちてるんだから無理しないようにしないととか急に動かないようにとかそんな話をした気がする。挑戦しようと思ったけど、面と向かって本音を言えないなと思った。泣いてしまってうまく伝えられないからだ。
空いてる時間で小学校に上がる時に買ってもらった昔はどの友達の家に行ってもあった頑丈な木の机に向かっておとーに手紙を書いた。もはやなんと書いたのか詳細はうる覚えだが、こんな感じだったと思う。
姉妹の中で中身は1番おとーに似てると思ってる。事務作業も細かいことをコツコツするのは完全におとー譲りだ。
そんな個人プレー向きに見えても、人の為になることをした方が我々はいい。
今自分はそういう仕事をしてなくて日々つまらなくて誰のためにもなってなくてつらい。忙しすぎてではなくて、暇すぎて何の為にいるのかわからないストレスで自律神経もやってしまった。
おとーも退職前は町のために働く人だったし、祭りの実行委員とかやって帰ってくると疲れたじゃーって言いながら生き生きしてたよ。
自分の為だけに生きれる人じゃないんだ我々は。
まだまだ元気でいてほしいから、ただ家にいるんじゃなくて週に2回でもいいから何かの手伝いとか仕事っぽいことをした方がいい。
こんなことを書いた。それはもう大号泣しながらだ。
そして「老後の7つの楽しみ方」的な本に挟み、高い位置にあるおとーの物を置く場所にそっと置いておいた。次の日、暇つぶしにでもって本置いておいたから退院したら見てねと伝え、家に帰った。
その後おとーはその本や手紙をどうしたのか知らない。
でも退院後の次の年から週に数回だけ仕事に出るようになった。声が届いたと思ってとっても嬉しかった。